『龍馬伝』第19話「攘夷決行」は2010年5月9日放送。幕府が約束した攘夷の期日を迎え、長州藩が外国船へ砲撃します。一方、土佐の武市半平太は藩の命令を待ち続け、平井収二郎の捕縛を受けて故郷へ戻ろうとします。歴史上の旧暦1863年5月10日とドラマの展開、長州の砲撃、その後の報復を分けて解説します。
第19話「攘夷決行」のあらすじと放送日
2010年5月9日放送のNHK大河ドラマ『龍馬伝』第19話は「攘夷決行」です。坂本龍馬を福山雅治さん、武市半平太を大森南朋さん、平井収二郎を宮迫博之さん、岡田以蔵を佐藤健さんが演じます。徳川家茂が朝廷へ攘夷の期限を約束したものの、実際に外国船へ攻撃を加えたのは長州藩でした。土佐勤王党の期待がしぼみ、収二郎をめぐる危機が深まるなか、龍馬と武市が違う道を選ぶ姿を描きます。
徳川家茂はなぜ攘夷を約束したのか
幕末には開国に反発する政治勢力が強まり、朝廷も幕府に外国勢力への対処を求めていました。将軍・徳川家茂はその圧力を受け、旧暦の文久3年5月10日を攘夷決行の期限とすることを約束します。しかし条約を結んで外国と通商していた幕府にとって、実際に外国船へ攻撃を加えることは大きな外交問題でした。期日を決める政治的な約束と、現場で実行できる政策とは同じではありません。ドラマの武市が大きな期待を抱く一方、幕府は簡単には動けません。
攘夷決行日はいつだったのか
1863年の攘夷決行日として知られる旧暦5月10日は、現在の暦に直すと1863年6月25日にあたります。アジア歴史資料センターの歴史学習資料でも、この二つの日付を対応させています。放送時のドラマや歴史記事では旧暦の日付だけを使う場合が多いため、現代の6月25日とは別の出来事だと誤解しないようにしたいところです。長州の砲撃が起こった日を覚えるだけでなく、幕府と朝廷の関係が行き詰まる中でこの期限が定められた背景を理解することが大切です。
長州藩の外国船砲撃は史実

長州藩の急進的な尊王攘夷派は下関海峡を通る外国船を攻撃しました。アジア歴史資料センターの解説によれば、アメリカ商船ペンブローク、フランス軍艦キャンシャン、オランダ軍艦メデューサが攻撃対象となり、その後、各国から報復攻撃を受けます。長州の行動は一度の砲撃で終わったわけではなく、海峡封鎖や砲台の破壊と修復をめぐる衝突へつながりました。ドラマの場面から歴史を理解するとき、初日の砲撃とその後の戦闘を一つの出来事にまとめてしまわないことが必要です。
長州藩は本当にすぐ負けたのか
旧記事では長州藩が砲撃して「あっけなくやられた」という説明になっていました。しかし実際には、長州側が外国船を攻撃したのち、アメリカ、フランス、オランダが反撃し、その後も海峡の封鎖は続きました。さらに1864年にはイギリスも加えた四か国の艦隊が下関を攻撃する大規模な衝突が起こります。つまり1863年の攘夷決行と、翌年の四国艦隊下関砲撃事件は区別しなければなりません。結果だけでなく経緯を追うことで、海軍力の差や外交の難しさがよく分かります。
武市半平太が待ち望んだ藩の命令
武市は土佐勤王党の仲間とともに、土佐藩にも攘夷を実行する命令が下ることを待ちます。武市にとって攘夷は政治的な合言葉ではなく、長年仲間と掲げてきた目標でした。しかし山内容堂のもとで土佐藩は簡単に動きません。組織が大きな目的に向かうとき、その目的が本当に実行可能なのか、実行したあと誰が責任を負うのかという議論も必要です。武市の失望は、信念の強さと政治の現実との隔たりを浮かび上がらせるものとして描かれます。
岡田以蔵と勝海舟の関係
前回、武市から勝海舟を斬るよう命じられた以蔵は、龍馬の働きかけをきっかけに勝の用心棒となる展開が描かれました。第19話では、人を斬ることを求められてきた以蔵が、ようやく昔の自分を取り戻しかける場面があります。剣の技量は同じでも、使う目的が変われば人との関わり方も変わります。ただし、以蔵が何を考えていたかや龍馬と食事をしながら交わした言葉は、ドラマの心情表現であり、歴史上の発言として確定できるわけではありません。
平井収二郎に迫る危険
武市の側近である平井収二郎は、土佐藩の役人から追われる立場になります。NHKの公式あらすじでは、龍馬が収二郎を救おうとするものの、結局捕らえられてしまう筋が描かれています。収二郎は平井加尾の兄でもあり、龍馬にとって長く付き合ってきた人物です。政治の対立が深まるにつれ、仲間や家族がそれぞれ危険にさらされることになります。龍馬は友人を助けたい気持ちを持っていても、所属する藩の処分を一人で変えることはできません。
平井収二郎はどんな人物だったのか
平井収二郎は1835年生まれの土佐藩士で、土佐勤王党に参加し、山内豊範に従って京都で尊王攘夷運動に携わりました。『日本人名大辞典』によると、青蓮院宮の令旨を用いて藩政を改めようとしたことが、前藩主・山内豊信、すなわち山内容堂の怒りを買い、1863年に切腹へ追い込まれたとされています。これは実在した政治的な事件ですが、劇中で誰が何を言って収二郎を捕らえたかという細部とは区別しましょう。後年の歴史を知ると、今まさに危険に近づく収二郎の姿に重さを感じます。
龍馬が武市に土佐へ戻るなと訴える理由
収二郎が捕らえられたことを知った武市は、彼を助けるため土佐へ戻ろうとします。龍馬は必死にそれを止めます。武市は仲間を見捨てたくない一方、龍馬は武市まで危険にさらされると考えるのです。大切な人を守るためにその場へ駆けつけたい気持ちと、近づくことで危険が大きくなる現実は、必ずしも一致しません。ここは二人の友情が失われた場面ではなく、相手を思うからこそ違う判断になるという苦しい場面です。
史実と脚本の境界を確かめる
攘夷決行日の設定、長州による外国船砲撃、平井収二郎が後に切腹したことは史料で確認できる事実です。一方、龍馬が以蔵と収二郎を土佐藩役人からどう逃がそうとしたか、武市が帰国する前に龍馬とどんな言葉を交わしたかは、ドラマで描かれた筋として理解する必要があります。歴史ドラマでは、さまざまな場所で進んだ事件を一つの会話につなげ、人物の葛藤を見せることがあります。物語を楽しむことと史実を正確に知ることは両立できます。
なぜ海軍を学ぶ龍馬と武市の道は分かれたのか
龍馬は勝海舟のもとで外国の船と技術を学び、日本全体を考える視野を育てていました。武市は尊王攘夷の政治運動を通じて藩を動かそうとしていました。国を守りたい気持ちは重なっていても、実現する方法が違えば行動も変わります。誰かを歴史上の正解として最初から決めつけるのではなく、当時の限られた情報や危機感の中で、それぞれ何を選んだのかを考えることが大切です。友人同士が違う道に進むことは、必ずしもそれまでの関係を否定するものではありません。
龍馬の生き方から学ぶ判断の難しさ
信じてきた目標がすぐには実現しないとき、人はより強い行動へ進みたくなることがあります。しかし、目標を達成する方法が人を傷つけたり、別の問題を生んだりするなら、立ち止まって考え直す勇気も必要です。長州の砲撃とその後の報復は、政治的な決断が予想以上の結果につながり得る例です。龍馬が武市を止めようとする場面からも、相手を思っているからこそ危険を知らせる大切さを読み取れます。ただし現代の悩みを幕末の戦争と単純に同一視しない姿勢が必要です。
次回第20話「収二郎、無念」へ
第20話では、投獄された平井収二郎を救おうとする武市の行動と、勝塾の資金を集める龍馬の仕事が並行して描かれます。第18話「海軍を作ろう!」から続けて読むと、海軍づくりと土佐勤王党の政治が別々の方向へ進むことが分かります。全話を放送順で追う方は龍馬伝各話のあらすじ一覧もご利用ください。






