『龍馬伝』第20話「収二郎、無念」は2010年5月16日放送。平井収二郎の投獄を知った龍馬は、勝海舟の海軍塾を支えるため松平春嶽へ資金を求めます。一方、武市半平太は収二郎を救おうと山内容堂に願い出ます。実際に記録される海軍塾の1,000両と、1863年の収二郎の処分を歴史資料で検証します。
第20話「収二郎、無念」の放送日とあらすじ
『龍馬伝』第20話「収二郎、無念」は2010年5月16日放送。福山雅治さん演じる坂本龍馬は、大坂で航海術を学ぶ中、土佐の友人・平井収二郎(宮迫博之さん)が投獄されたことを知ります。武市半平太(大森南朋さん)は山内容堂(近藤正臣さん)に収二郎の助命を願い出ますが、事態は深刻です。一方、勝麟太郎(武田鉄矢さん)の海軍塾では資金が足りなくなり、龍馬は福井藩へ援助を求める仕事に動きます。
平井収二郎が土佐で投獄された理由
平井収二郎は土佐勤王党に関わり、京都で尊王攘夷運動に携わった実在の土佐藩士です。ドラマでは吉田東洋暗殺の犯人を突き止めようとする後藤象二郎から追及され、厳しい取り調べを受けます。政治の責任を負う人物が、何を知っているか分からないまま疑われる状況は、仲間たちにも不安を広げます。ただし実際の収二郎の処分は、青蓮院宮の令旨などをめぐる藩政上の対立と関係しており、劇中の尋問場面だけで歴史上の経緯を説明するのは不正確です。
龍馬はなぜすぐ土佐へ戻らなかったのか
龍馬は収二郎の危機を知って助けたいと思いますが、脱藩しているため自由に藩へ入って行動できる立場ではありません。しかも勝のもとで始めた海軍の学びを途中でやめれば、多くの仲間と進める仕事にも影響があります。誰かを救いたい気持ちと、自分が今できることの範囲が一致しない難しさがここにあります。ドラマでは龍馬が京の勝を訪ね、友人の問題と同時に塾の資金不足という別の課題に直面します。
勝塾にはなぜ資金が必要だったのか

海軍の学校をつくるには、教える人や学ぶ人だけではなく、場所、設備、教材、生活費が必要です。勝海舟はさまざまな藩から若者を集めようとしましたが、志があるだけでは継続できません。軍艦や航海術の訓練には費用がかかり、幕府の支援だけで全員の活動がまかなえるとも限りません。龍馬が資金を集める役割を引き受ける場面は、人を動かす仕事の現実を見せます。大きな目標を形にするには、組織の運営に目を向ける必要があるのです。
松平春嶽へ資金援助を頼む龍馬
龍馬は越前福井藩の松平春嶽に会い、海軍塾のために資金を貸してもらうよう頼みます。春嶽は龍馬が勝に会うときにも関わった人物であり、政治的な立場を越えて人をつなぐ存在です。第20話では龍馬の行動力が印象的ですが、資金を出す側には藩としての責任や財政事情があります。相手の理解や信頼を得なければ、必要だからという理由だけではお金を借りられません。この交渉には、剣の腕とはまったく異なる力が求められました。
千両の援助は史実で確認できる
福井県文書館の展示資料には、文久3年(1863年)5月に龍馬が福井藩から海軍塾の建設資金1,000両を借り出したと考えられる記録が紹介されています。1864年末の『風説書』に、残った500両の扱いについて勝海舟と福井藩の関係者が話したことも記されています。こうした記録があるため、単なるドラマの架空の金策とは言えません。一方、実際に春嶽と龍馬がどのような会話を交わしたかは、史料で確認できる金銭の動きと分けて理解する必要があります。
五千両という話もあるのはなぜか
龍馬が福井藩から借りた金については、1,000両説と5,000両説が語られてきました。福井県文書館が国立国会図書館の調査事例で示す資料では、横井小楠の書簡や『風説書』に基づく1,000両説の根拠が詳しく説明されています。後年の編纂資料や文学作品を通じて5,000両説が広まったとされます。数字が大きいほど人物の功績が増すわけではありません。どの記録に基づいた金額なのかを示し、わからない部分を断言しないことが歴史記事の信頼につながります。
兄・権平が龍馬を連れ戻しに来る
NHK公式のあらすじでは、龍馬と入れ違いに兄の坂本権平が大坂を訪れ、龍馬を土佐へ連れ戻そうとする展開が描かれます。兄にとって脱藩した龍馬の行動は、家族や坂本家の暮らしにも影響する問題でした。龍馬の志は理解したい一方、家族としては無事に戻ってほしいと思うでしょう。ドラマの兄弟のやりとりは、歴史の大きな出来事の陰で家族が何を心配していたのかを想像させます。実際の会話は史料で裏づけられたものではありません。
土佐で武市半平太が収二郎の助命を求める
武市は収二郎を助けるため、前藩主の山内容堂へ直接願い出ます。武市にとって収二郎は同志であり、政治活動を共に進めた人物です。自分が率いてきた組織の仲間が命の危険にさらされることは、指導者として大きな責任を感じる出来事でしょう。しかし容堂は武市の主張を受け入れず、両者の関係はさらに悪化します。ドラマの武市は理想を掲げた人物であると同時に、仲間を救えない無力感を抱える一人の人間として描かれます。
平井収二郎はいつ切腹したのか
『日本人名大辞典』によれば、平井収二郎は文久3年(1863年)旧暦6月8日に切腹し、29歳で亡くなりました。加尾の兄として知られますが、実際には土佐の政治運動に携わった人物でもあります。旧暦の日付を現在の暦と混同しないことが大切です。歴史上の切腹は武士の名誉を守る行為として語られることがありますが、本人が生きる機会を失った重い処分であったことにも目を向ける必要があります。ドラマの収二郎の最期の表情や台詞は、作品の演出として区別しましょう。
龍馬と平井加尾のつながり
平井収二郎の妹・加尾は、龍馬と親しかった人物として知られています。高知県立坂本龍馬記念館の案内には、龍馬が姉の乙女へ送った手紙で収二郎の処分を痛ましく思い、加尾の悲しみに気をかけたことが紹介されています。収二郎の死を政治上の一事件としてだけ扱えば、残された家族の苦しみが見えなくなります。平井加尾の人物記事では、彼女の生涯と龍馬との関係も別に解説しています。
弥太郎が材木の商売に取り組む
土佐にいる岩崎弥太郎は、材木を仕入れて商売をしようとします。ドラマでは思うように売れず、苦労する姿が描かれます。龍馬は海軍という大きな構想の資金を集め、弥太郎は目の前の商品を売って利益を得ようとする。二人は立場が違っても、仕事には資金や信用が必要だという現実に向き合っています。ただしこの回の材木商売の結果が弥太郎の実際の事業記録と完全に一致するかは別途検証が必要で、人物の生涯をドラマ一場面から断定してはいけません。
第20話に見る理想を支えるお金と人
志を語るとき、資金の話をすると理想が小さくなるように感じる人もいます。しかし、設備や人件費の不足によって学びの場が続けられなければ、その志を実現することは難しくなります。龍馬が1,000両の支援を求めたという史料は、夢を形にするには現実の仕組みが必要だと教えます。一方、収二郎の命をめぐる問題は、資金や政治的な手続きだけで簡単に解決できない深刻さを持っています。この二つを並べる脚本に、理想と現実の重さを感じます。
次回第21話「故郷の友よ」へ
収二郎を失った土佐勤王党には、さらに大きな政治的な変化が押し寄せます。第21話では八月十八日の政変によって京都の勢力図が変わり、武市も追い詰められていきます。第19話「攘夷決行」から続けて読むと、収二郎をめぐる展開と武市の選択が分かります。龍馬伝全話の一覧もあわせてご覧ください。




